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カテゴリ: 文化・歴史/史跡
富士山世界文化遺産構成資産(平成25年6月登録)
富士山域に含まれる山頂の信仰遺跡群は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成要素です。
富士山の山頂部には、火口壁に沿って、神社の社殿をはじめ、複数の富士山信仰に関連する一群の場所及び施設が分布しています。
富士山への信仰登山が開始されると、それまでの修験道の影響の下に、山頂部において寺院の造営又は仏像などの奉納が行われるようになり、山頂部における宗教行為が体系化されていきました。
道者・富士講信者は、一般的に山頂周辺において「御来迎」(ご来光)を拝むとともに、噴火口底部の「内院」に鎮座する浅間大神及びその本地仏である大日如来などの神仏を拝して賽銭(散銭)を捧げ、火口壁の周囲のいくつかの小高い頂部(剣ヶ峰、三島ヶ嶽、駒ケ岳、浅間岳、成就岳、伊豆岳、大日岳、久須志岳、白山岳)を仏教の曼荼羅に描く仏の世界に擬して「お鉢めぐり」と呼ぶ巡拝の行為を行いました。
その巡拝路の途上では、道者・富士講信者は、山頂部の井戸である「金明水」及び「銀明水」にて湧水を汲み、東安河原及び剣ヶ峰の麓などの小祠に安置された仏像に参拝を行いました。
山頂部の富士山信仰に関連する一群の場所・施設は、12世紀の修行僧の末代上人により建立されたものを起源とするとされています。
その後、山頂部では経典・懸仏・仏像等の埋納・奉納が行われたほか、火口部に当たる「内院」への散銭も行われました。
また、遅くとも17世紀には、大宮・村山口登山道の山頂部に大日堂(現在は富士山本宮浅間大社の奥宮が所在する。)が、吉田口・須走口登山道の山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が、それぞれ造営されました。
1868年に明治政府が発した神仏分離令に基づき、1874年に山頂の仏教的施設及び仏像が撤去されました。また、仏の名に因んで命名された山頂の各頂部の名称も変更され、大日堂などの寺院は神社へと改変されました。しかし、山頂部に対する人々の信仰自体が変化することはありませんでした。
現在も、山頂の随所に石碑・仏像等が残されており、神聖な領域と見なされた各頂部及び内院を望む拝所(村山大宮拝所、須山拝所、吉田須走拝所)には、それぞれ鳥居が建立されています。特に、山頂において「御来迎(ご来光)」を拝むことをはじめ、「お鉢めぐり」と称して山頂の火口壁の頂部を巡ることは、現代の多くの登山者も行っており、これらの行為を通じて富士山信仰の核心が現代に確実に継承されています。
住所 |
山梨県・静岡県 |
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アクセス |
富士急行線河口湖駅からバスで55分、富士山五合目バス停下車後すぐ |
駐車場 |
バス:3台 普通:60台 |
備考 |
上記の交通アクセスは富士山五合目までを示しています。 |
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名称 |
山梨県世界遺産富士山課 |
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電話番号 |
055-223-1316 |
関連情報 |
記載されている情報は、2024年7月22日現在のものです。
記載内容は予告なしに変更されることがありますのであらかじめご了承ください。
最新の情報は、各施設などに直接お問合せください。
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