ここから本文です。
<<舞鶴城公園のみどころ1に戻る
城内の鬼門(北東)に位置することから艮櫓(うしとらやぐら)ともよばれ、江戸時代には武具蔵(ぶぐくら)として使われていた建物です。
明治初年まで残っていたことが古写真でわかっており、発掘調査でも2度に渡り建物を建築した痕跡(遺構)と、土地の平安を祈るための輪宝(りんぽう)(地鎮具)が6点見つかりました。
今の建物はこの遺構や残っていた絵図や史料をなどをもとに、できるだけ当時の姿に復元したもので、平成16年に建築しました。
開館時間:午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)
休館日:月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、年末年始(12月29日から翌1月3日まで)
入館料:無料
天守台から稲荷櫓を望む
稲荷櫓前には櫓の壁と屋根の構造が展示されています。
稲荷櫓のある稲荷曲輪
ここには甲府城の火薬庫だった建物がありました。
このような建物は全国のどのお城にもありましたが、地下構造で特別な防湿構造をもっている珍しい遺構です。
城内の中心に建てられた櫓で、明治初年までは残っていたことが古写真でわかっています。
雨水などが盛土や石垣内部にたまると石垣は不安定になるので効果的に排水する必要があります。
暗渠はそのための施設です。
中を覗いてみると・・・
鉄門跡から本丸を望む、園路が整備されています。正面の建物はトイレです。
銅門跡から本丸を望む、正面は天守台です。
お城が建てられた当時の姿がそのまま残っています。
天守台はお城のシンボルとしての天守閣が建てられる場所です。
天守曲輪から本丸へ通じる西側の門です。
礎石はお城が建てられた当時のものです。
天守曲輪から本丸へ通じる南側の門です。
約140年ぶりに復元整備され、平成25年から公開しています。
開館時間内には2階櫓の内部も見学可能。富士山を眺望することができます。
詳しくはこちら⇒甲府城鉄門について/山梨県ホームページ(外部リンク)
天守曲輪・本丸へ通じる門です。
絵図には柵の門として描かれています。
階段を上ると天守曲輪です。
屋形曲輪(やかたくるわ)とニの丸をつなぐ門です。
明治のはじめまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元しました。
鍛冶曲輪(かじくるわ)と楽屋曲輪(がくやくるわ)をつなぐ門です。
明治のはじめまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成8年に復元しました。
山手御門は、甲府城に三つあった出入口の一つです。
土橋によって堀を渡り、高石垣と土塀に囲まれた内側の高麗門(山手門:上の写真)と櫓門(山手渡櫓門:下の写真)から構成される山手御門を通って、ここから南の城内(現・舞鶴城公園)に出入りできました。しかし、明治期に破却され、今では中央線の線路で分断されています。
発掘調査では堀石垣群跡と土橋跡が検出されました。石積みの状況と文献資料から城内の天守台とほぼ同時期の天正末期から慶長初期(16世紀〜17世紀初)頃に造られたと考えられます。防御上重要な箇所なので、石垣の完成と同時に櫓門の建造が始まったと想定されます。当初の建造物の史料はありませんでしたが、情報量が多く信憑性が高い「楽只堂年録」絵図をもとに建造物規模を推定しました。また、発掘された石垣遺構に基づいて位置を定めました。
このようにして、「楽只堂年録」に描かれた時代(18世紀初)の姿に復元され、甲府市歴史公園として整備されています。
山手渡櫓門の内部の展示も見ることができます。
山手御門から天守台と稲荷櫓を望む、天守台左横には富士山が見えます。
舞鶴城公園のみどころ1に戻る