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1582 | 天正10 | 武田家滅亡(3月)、本能寺の変(6月) 徳川家康が甲斐を領有、平岩親吉が城代となる |
1590 | 天正18 | 豊臣秀吉、天下統一 家康関東へ移封 羽柴秀勝が甲府城主となる |
1591 | 天正19 | 羽柴秀勝、岐阜へ移封 加藤光泰が新たな城主となる |
1592 | 文禄 元 | 文禄の役 加藤光泰、朝鮮へ出兵 |
1593 | 文禄 2 | 加藤光泰、朝鮮の陣中にて病没 浅野長政・幸長が城主となる |
1597 | 慶長 2 | 慶長の役 |
1598 | 慶長 3 | 豊臣秀吉、伏見城にて病没 |
1600 | 慶長 5 | 関ヶ原の戦い |
1601 | 慶長 6 | 徳川家康の命を受け、平岩親吉が二度目の城代となる |
1603 | 慶長 8 | 徳川義直(家康の九男)が城主となる(城代・平岩親吉) |
1607 | 慶長12 | 徳川義直、清州へ移封(城代・平岩親吉は犬山へ移封) 城番制が設置される |
1615 | 元和 元 | 大阪夏の陣(豊臣氏滅亡) |
1616 | 元和 2 | 徳川忠長(2代将軍秀忠の子)が城主となる |
1632 | 寛永 9 | 徳川忠長、死去 再び城番制がしかれる |
1661 | 寛文 元 | 徳川綱重(3代将軍家光の子)が城主となる |
1664 | 寛文 4 | 半世紀ぶりの大修理 |
1678 | 延宝 6 | 徳川綱豊(綱重の嫡男)が城主となる |
1704 | 宝永 元 | 徳川綱豊、5代将軍綱吉の養嗣子となり江戸城西の丸へ移る |
1705 | 宝永 2 | 柳沢吉保が甲斐国を受領(甲斐は大名領となる) |
1706 | 宝永 3 | 城内の曲輪修築や殿舎の造営が行われる 郡内が甲府藩預かりとなり、甲斐一円が柳沢領となる |
1724 | 享保 9 | 柳沢吉里(吉保嫡男)、大和郡山へ移封 甲府勤番の設置(甲斐一国は天領となる) |
1727 | 享保12 | 大火、甲府城内に延焼(本丸御殿、銅門など多くを焼失) |
1734 | 享保19 | 城内に盗賊侵入、御金蔵が破られる |
1854 | 安政 元 | 開国 |
1866 | 慶応 2 | 勤番制を廃止し、城代を設置 |
1867 | 慶応 3 | 大政奉還 |
1868 | 慶応 4 | 官軍、板垣退助らが無血入城(3月)9月8日に明治と改元 |
1873 | 明治 6 | 廃城 内城のみが残される |
1876 | 明治 9 | 内城全体に勧業試験場設置 |
1877 | 明治10 | 鍛冶曲輪跡に葡萄酒醸造所を設置 |
1897 | 明治30 | 清水曲輪跡に中央線甲府停車場を設置 |
1900 | 明治33 | 楽屋曲輪跡に県立甲府中学校を設置 |
1904 | 明治37 | 本丸周辺一帯を「舞鶴公園」として開放 |
1906 | 明治39 | 城内にて1府9県連合共進会を開催 このとき遊亀橋ができる、また稲荷曲輪跡に機山館を新築 |
1922 | 大正11 | 本丸に謝恩碑完成 |
1926 | 大正15 | (昭和元年)楽屋曲輪跡の甲府中学を移し、ここに県庁を整備 |
1964 | 昭和39 | 都市公園として都市計画決定され、「舞鶴城公園」に |
1968 | 昭和43 | 県指定文化財(史跡)「甲府城跡」の指定 |
1990 | 平成 2 | 舞鶴城公園整備事業に着手 |
2004 | 平成16 | 稲荷櫓完成 |
2007 | 平成19 | 山手御門(甲府市歴史文化公園)完成 |