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<観光情報名称>
須走口登山道(すばしりぐちとざんどう)



須走口登山道は森林限界が高く、緑の多い登山道。樹林帯を抜けると、ご来光や影富士がどこでも見られる。
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<最終更新日>
2024年04月12日

<エリア>
他県

<所在地>
他県静岡県小山町須走

<お問合せ先>
名称:小山町商工観光課
電話番号:0550-76-6114
メールアドレス:kankou@fuji-oyama.jp
URL:小山町観光情報(外部リンク)

<交通アクセス>
交通手段詳細:【バス】御殿場駅〜須走口五合目(富士急行御殿場営業所) 【バス】新松田駅〜須走口五合目(富士急湘南バス) 【車】御殿場IC(東名高速道路)より約1時間 【車】須走IC(東富士五胡道路)より約30分

<駐車場>
バス:15台
普通:200台
備考:無料で利用可能・開山期間中はマイカー規制を実施

<周辺の観光情報>
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1件中 1〜1件

須走口登山道(見る)

<地図>

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<説明文>
富士山世界文化遺産構成資産(平成25年6月登録) 須走口登山道は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成要素である。 須走口登山道は、富士山東麓に位置する冨士浅間神社を起点とし、須走口本八合目(標高約3,370m)において吉田口登山道と合流し、山頂の東部へと達する登山道である。 その起源は明確でないが、七合目(標高約2,925m)の沿道からは、富士山への奉納物として現存最古の事例である1384年の紀年銘を持つ懸仏が出土しているほか、『勝山記』の1500年の条には須走口登山道に道者が集中したとの記事が見られる。 遅くとも17世紀までには、冨士浅間神社及びその所在地である須走村(現在の小山町須走)が山頂までの登山道の全区間を支配し、山頂部における散銭取得権の一部を獲得していた。 しかし、18世紀になると、須走村は富士山本宮浅間大社との間で山頂部の権利を争うようになり、1703年及び1772年の2度にわたって徳川幕府に裁定を求めたところ、幕府から須走村の権利として認められた。 1707年の宝永噴火の際には、登山道のみならず冨士浅間神社及び須走村は噴砂に覆われ壊滅した。 しかし、翌年には徳川幕府の支援の下に復興を果たし、その後も多くの道者・富士講信者が登拝を行うようになった。18世紀後半には、江戸と富士山との間に所在する霊地・巡礼地が、須走口登山道とともに一連の巡礼経路に組み込まれたため、道者・富士講信者の数は年平均約1万人に達し、1800年の「御縁年」の年には23,700人にも及んだとされる。 1959年には、南麓から現在の五合目(標高約2,000m)まで、バスの通行可能な道路が完成した。それに伴い、五合目以下の区域における登山道の利用がほとんど見られなくなっていたが、2013年に「富士箱根トレイル」というトレッキングコースの一部として、須走口五合目から馬返しまでの登山道が再整備され、道標も新たに設置された。 須走口登山道としての資産の範囲は、五合目から山頂にかけての区間である。この区間の沿道には複数の山小屋が建てられており、それらの多くが現在も宿泊所として機能している。 ほとんどの山小屋には、今もなお、富士講から奉納されたマネキ33などの貴重な資料が残されている。 また、1979年には、五合目以下の登山道沿いに存在した複数の神社が、五合目の古御嶽神社に移築・合祀された。 本六合目(標高約2,700m)付近の沿道には、道者・富士講信者の信仰を集めた風穴の御胎内が存在する。 さらに九合目(標高約3,575m)の沿道には、18世紀初頭に存在したと考えられる冨士浅間神社の末社としての迎久須志神社が存在するほか、日の出の遥拝所のひとつであった「日ノ見御前」と呼ばれる平坦部も存在する。


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