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<観光情報名称>
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)



富士修験の中心地として栄え、明治の神仏分離令により興法寺は廃されたが、今も大日堂と浅間神社が境内に建立している。
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<最終更新日>
2024年04月03日

<エリア>
他県

<所在地>
他県静岡県富士宮市村山1151

<お問合せ先>
名称:富士宮市富士山世界遺産課
電話番号:0544-22-1111(代表)
メールアドレス:sekai@city.fujinomiya.lg.jp
URL:富士宮市公式ウェブサイト(外部リンク)

<交通アクセス>
交通手段詳細:JR身延線富士宮駅から車で20分 新東名高速道路新富士ICから車で約30分 新東名高速道路富士ICから車で約35分

<駐車場>
バス:4台
普通:25台
備考:車で御殿場方面から来る場合は国道469号を経由すると便利です。

<周辺の観光情報>
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1件中 1〜1件

村山浅間神社(見る)

<地図>

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<営業時間>
見学は365日24時間可能。ただし、案内所は土・日・祝の10:00〜15:00のみ開設。

<説明文>
富士山世界文化遺産構成資産(平成25年6月登録) うっそうたる社叢に覆われた境内には、鳥居、参道の奥に位置する社殿、その東側に位置する興法寺の堂宇としての大日堂、修験道の儀式に使用された護摩壇、道者が利用した水垢離場が含まれる。 また、境内において実施した発掘調査では、16世紀に遡る敷地造成面及び17世紀以降の建物跡が確認された。 なお、現在の大日堂には、1259年の紀年銘を持つ大日如来をはじめ、修験道に関係する仏像などが安置されている。 14世紀初頭には、興法寺の僧侶であった頼尊が富士山における修験者を組織化したため、興法寺はその中心地として発展した。 15〜16世紀になると、修験者に導かれた一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の製作とされる『絹本著色富士曼荼羅図』にも描かれた。 この図によると、道者は社殿への参拝を行い、水垢離を行った後に、興法寺の西側にかつて存在したとされる登山道を経て、富士山へと向かったことが知られる。 14世紀以降に興法寺が組織化した道者の多くは、富士山より西方の地域から登拝・巡礼に訪れた人々であった。 それは、興法寺が当時の修験道の中心的寺院であった京都の聖護院と密接な関係を持っていたからだとされている。 1868年の明治政府による神仏分離令に基づき興法寺は廃止され、村山浅間神社及び大日堂に分離された。 また、大日堂の北東の位置に所在し、末代上人を祀った堂宇についても、その祭神が変更されたほか、境内の北端付近へと移築されてしまった。さらに、1872年には修験道も禁止され、ほとんどの修験者は還俗した。ただし、一部の修験者の活動は、1940年代まで継続的に行われていた。 ミツバツツジの見ごろ:4月下旬から5月上旬 村山浅間神社の大スギ、イチョウも大変見ごたえがあります。


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