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<観光情報名称>
大宮・村山口登山道(現:富士宮口登山道)(おおみや・むらやまぐちとざんどう)



富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山道。12世紀前半から中ごろにかけて登山が開始されたとされている。
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<最終更新日>
2024年04月03日

<エリア>
他県

<所在地>
他県静岡県富士宮市粟倉

<お問合せ先>
名称:五合目レストハウス
電話番号:090-7618-2230
URL:http://www.fuji-tozan.com/5goume/(外部リンク)

<交通アクセス>
交通手段詳細:7月9日〜9月11日の間はマイカー規制実施中のため、乗用車の場合は水ヶ塚駐車場においてシャトルバスに乗り換える必要があり。また11月上旬から4月下旬の間、冬季閉鎖あり。4月下旬から7月9日、9月12日から11月上旬の冬季閉鎖まではマイカーで新東名新富士ICから75分。東名富士ICから80分

<駐車場>
バス:15台
普通:350台
備考:マイカー規制中の水ヶ塚駐車場は有料1,000円で駐車台数は1,000台。

<周辺の観光情報>
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大宮・村山口登山道(現:富士宮口登山道)(見る,食べる,泊まる,体験する,お土産)

<地図>

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<営業時間>
売店8時0分から16時0分、食堂8時30分から15時0分(7月中旬から8月下旬は売店6時0分から21時0分、食堂6時0分から18時30分)

<休業日>
無休

<説明文>
富士山世界文化遺産構成資産(平成25年6月登録) 大宮・村山口登山道(現在の富士宮口登山道)は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成要素である。 大宮・村山口登山道(現在の富士宮口登山道)は、富士山南西麓の富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社(興法寺)を経て、山頂の南側へと達する登山道である。 富士山の南麓からの登山は、12世紀の修行僧であった末代上人の活動を発端として始まったとされ、14世紀初頭には修験者による組織的な登山が行われるようになったとされている。 17世紀〜19世紀後半には、「村山三坊」と呼ばれた3つの有力な坊院が村山浅間神社(興法寺)及び登山道の管理を行い、それらの坊院等に所属する修験者が登山道等を利用して修行を行った。また、一般庶民の登拝も始まり、その様子は16世紀の作品である『絹本著色富士曼荼羅図』をはじめとする多くの絵図にも描かれた。 3つの坊院のうちの一つである「大鏡坊」に残された18世紀後半〜19世紀初頭の記録によると、平年における道者の数は数百名であったが、富士山出現伝説に関連して60年に1回の記念の年とされる「御縁年」には約2,000人にも及んだという。 また、大宮・村山口登山道は、1860年に英国公使オールコック(1809〜1892)が外国人として最初の富士登山を行った道としても知られる。 1906年には、大宮から村山を経由せずに現在の六合目(標高2,600m)へと至る新道が開設されたため、旧道の部分は登山道としての機能を失った。 この区間については、現在、一部を除き、元の登山道の位置及び宗教施設跡について推定することが困難な状況にある。 また、1970年に標高2,400mの地点まで自動車道が開通し、それ以降は自動車道を利用した登山が行われるようになった。 現在は五合目から山頂までの登山道の区間を「富士宮口登山道」と呼称しているが、そのうち、大宮・村山口登山道としての資産の範囲は六合目から山頂までの区間である。この区間の沿道には現在も複数の山小屋が存在し、宿泊所として機能している。 頂上付近の登山道沿いにおいては、18世紀の頃から12年ごとに訪れる申年に富士山近隣の集落の人々が鳥居を奉納し、建立する習慣が始まり、今もなお継続的に行われている。


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