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日蓮聖人の魂が棲む身延山久遠寺

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日蓮宗の総本山として知られる身延山久遠寺。その歴史は700年以上前までさかのぼります。地震や洪水、飢餓、病役、争乱などが相次いだ鎌倉時代、日蓮聖人は、「法華経」の教えによってすべての人々を救おうとしました。三度にわたり幕府に「正しい仏法である『法華経』に帰依すれば、全ての人が末法の世から救われる」などとする諫言(かんげん)を行いましたが、幕府は一切耳を傾けませんでした。その言葉に反発した幕府や念仏者によって命を狙われ、さらに伊豆や佐渡への流罪となりましたが、その後流罪赦免となり、信者である南部実長公の招きにより1274年に身延山に入山しました。

鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住まいとし、約9年にわたり法華経を末法万年に伝える人材の養成に務め、大勢の弟子や信者とともに法華経の講義や唱題修行に精進しました。1281年には十間四面の大堂を建立し、「身延山妙法華院久遠寺」と命名しました。

翌1282年、日蓮聖人は療養と両親の墓参のために一度身延山を下りて常陸国(茨城県)に向かいましたが、その途中で病状が悪化し、武蔵の国池上(東京都大田区)で61年の生涯を静かに閉じました。日蓮聖人は「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という遺言を残し、遺骨は身延山に奉ぜられました。

身延山久遠寺 本堂

日蓮聖人 御廟塔

その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の弟子らによって継承され、約200年後の1475年に現在の地へと移転されました。そして、武田氏や徳川家の崇拝、外護を受け、また領主などからも手厚く守られて栄えていきました。

日蓮聖人が法華経に命をささげた身延山久遠寺は、その後も日蓮宗の総本山として門下の厚い信仰を集め続け、今も日蓮聖人を慕う人々の心の聖地として多くの人が参詣に訪れています。毎年春には樹齢400年といわれるしだれ桜が境内を彩り、その美しい姿を一目見ようと全国から人々が押し寄せます。大きくしだれる枝いっぱいに花が咲き誇る様は息をのむほどの美しさで、風格と優美さが感じられます。

また少し足を伸ばせば、日蓮聖人が9年間生活された御草庵跡、日蓮聖人の御遺骨が火葬の灰とともに納められた御廟所があります。神聖なその地は静寂に包まれていて、時間もゆっくりと流れているように感じます。秋には色鮮やかなカエデの紅色に彩られ、一層美しい景色が広がっています。

樹齢400年といわれるしだれ桜

御草庵跡を彩る紅葉

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