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更新日:2020年12月23日
今から約13,000年前から2,300年前にかけて、1万年以上続いたとされる「縄文時代」。その中でも約5,000年前の縄文時代中期は、山梨県と長野県にまたがる八ヶ岳を中心とした中部高地は日本で一番人口が多く、縄文文化が栄えていたと言われています。このエリアからは多くの縄文遺跡が見つかっており、特に山梨県で発掘される土器は大型のものが多いという特徴があります。今回は縄文銀座である山梨・長野のロマン溢れる縄文の世界をご紹介いたします。
八ケ岳北麓には、本州最大の黒曜石原産地遺跡があります。黒曜石とは火山が生み出した天然ガラスで、狩猟採集民族であった縄文の人たちの暮らしには欠かせないものでした。
日本中で黒曜石が採掘される場所はありますが、八ヶ岳周辺で採れる黒曜石は、純度が高く高品質であり、矢じりやナイフとして加工がしやすかったと考えられています。
▲遺跡から発掘された黒曜石で造られた矢じり(黒耀石体験ミュージアム)
▲矢じりに黒曜石が付けらた矢(井戸尻考古資料館)
この地で採れた黒曜石は、広く北海道の遺跡からも見つかっており、縄文時代では八ヶ岳の黒曜石はハイブランド品として、この石を求めて交易が行われていたのではないかと考えられています。中部高地が縄文時代に栄えた背景には、この良質な黒曜石が採れる場所であったことが関係しています。
八ケ岳北麓で黒曜石が出土する地域には「星糞峠(ほしくそとうげ)」や「星ヶ塔(ほしがとう)」「星ヶ台(ほしがだい)」など、「星」がつく地名があります。これは、足元でキラキラ光る黒曜石のかけらを、地元の人たちが空から降ってきた星のかけらと信じたことからこうした地名が生まれたと伝えられています。
▲全国各地の黒曜石(黒耀石体験ミュージアム)
星糞峠の黒曜石は他の地のものと比べて透明度が高いことが分かります。
縄文遺跡からは狩猟で使う道具としての黒曜石は見つかっていますが、人を殺すための武器は見つかっていません。争いのない平和な時代だったと考えられています。
縄文遺跡からは多くの土器や土偶が見つかっています。縄文中期の土器の特徴は、その華やかさ、芸術性の高さにあります。縄文初期、主に鍋として使用されていた土器は装飾もなくシンプルな作りでありましたが、縄文中期になると土器の装飾が華やかでとてもゴージャスです。日用品としての道具に、機能性を落としてまで装飾をすることは、世界的にみてもこの縄文土器のみだと言われています。
▲水煙文土器(釈迦堂遺跡博物館)
▲酒呑場遺跡出土品(山梨県立考古博物館)
なぜそのように装飾の度合いが変化していったのか?ひとつの理由として気候変動があげられます。縄文時代中期は、温かく穏やかな気候が続き、食料も豊富にあり、狩猟や採集に費やす時間が比較的短くなってきたため、土器の装飾に時間を費やしたのではないかという説もあります。
現代の私たちから見てもとても芸術性の高さを感じる縄文土器ですが、縄文の人たちにとって、単に「アート」としての完成度を高める為に装飾を施していたという訳ではないようです。
縄文遺跡からは沢山の土器や土偶が見つかっていますが、そこに象徴されるものはほとんどが女性、とりわけ妊婦さんを表現しているものも多くあります。出産の瞬間を表現しているとされる土器も見つかっています。
▲出産の瞬間を表現した「出産文土器」(北杜市考古資料館)
▲妊婦をモチーフにした「子宝の女神ラヴィ」
(南アルプス市ふるさと文化伝承館)
▲縄文として初めて国宝に指定された「縄文のヴィーナス」
(茅野市尖石縄文考古館)
子孫繁栄、新しい命が生まれてくることに最大の関心を寄せていたのでしょうか。
縄文の人たちにとって、命を産み出す女性はまるで「神」のような存在だったのかもしれません。
縄文人の平均寿命は30歳くらいだと言われています。医療が発達していなかった当時、生れては亡くなる子供もたくさんいたことでしょう。
亡くなった子供を入れる棺として使用されていたとされる「埋甕(うめがめ)」にも沢山の装飾が施されています。
▲埋甕(釈迦堂遺跡博物館)
埋甕は天地逆さにして、家の入口付近から見つかることが多くあるそうです。
▲縄文人の住居であった竪穴式住居を復元
(梅ノ木遺跡)
▲竪穴式住居の入り口付近から埋甕が見つかっている
(梅ノ木遺跡)
埋甕の底は穴が開けられていたり、底がくり抜かれた状態で見つかることが多くあります。これは亡くなった子供の魂がもう一度お母さんのお腹の中に戻ってきて欲しいという思いが込められているのではないかと考えられています。
土器の中には、動物をモチーフにしたものも多くあり、イノシシや蛇、蛙などが代表的なものです。これは脱皮や変容を遂げて生きる動物を描くことにより、「再生」への願いが込められているのではないかと考えられています。
▲蛙文(あもん)・みづち文大深鉢(井戸尻考古館)
デフォルメされた蛙が付けられている。
▲横を向いたイノシシの頭と、尻尾のような渦(井戸尻考古館)
縄文の人たちにとって、「生」と「死」が最大の関心事であったのかもしれません。華やかな縄文土器はとても自由に表現しているかのようにも感じますが、様々な土器を見ていくとそこには明確なルールやタブーがあるようにも感じてきます。
▲まるで宇宙人のような土偶が付けられた土器
「人体文様付友孔鍔付土器」(南アルプス市ふるさと文化伝承館)
なぜこのような模様なのか?
なぜ土器としての機能性を落としてまで華やかに装飾しているのか?
なぜ土偶はほとんどが女性なのか?
なぜ土偶の多くは壊れた状態で見つかるのか?
なぜ人なのに指が三本なのか?宇宙人なのか?
なぜ土器や土偶は実物を忠実に表現せず、デフォルメしているのか?
5000年前にタイムスリップして縄文人に直接聞かなければ結局のところ分からない「謎」だらけです。
その謎をなんとか解き明かしたい、自分自身のイマジネーションを膨らませて5000年前に生きた縄文の人たちに想いを馳せる…
そうすると、その「謎」の答えを求めて、気付けばきっとあなたも「縄文」にハマっているはずです。
歴史の教科書にもほとんど詳細が書かれてない「縄文時代」。
縄文遺跡や博物館・資料館が多く点在する八ケ岳から富士山にかけての中部高地エリア、古代日本のロマンを体験しに「縄文」の世界を旅してみませんか?
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