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更新日:2023年10月15日

信玄公祭りイメージ

信玄公祭りをもっと楽しむ豆知識!

信玄公祭りは、戦国時代最強と謳われた信玄公の1000人を超える騎馬行列(甲州軍団)を中心とした、山梨県最大級のお祭りです。
第51回は、武田信玄公役に 女優・元宝塚歌劇団月組トップスターの紫吹 淳さん、山本勘助役は女優・元宝塚歌劇団月組男役の優 ひかるさんに決定しました!
信玄公祭りをもっと楽しむための、見どころや豆知識をご紹介します。

 第51回信玄公祭りについて

令和7年、第51回信玄公祭りは次の3日間開催されます。

令和7年4月4日(金曜日)~6日(日曜日)の3日間
※甲州軍団出陣は4月5日(土曜日)

今年の武田信玄公役と山本勘助役は次のお二人です!

武田信玄公役

紫吹淳さん

女優・元宝塚歌劇団月組トップスター
 紫吹 淳(しぶき じゅん) さん

《ご本人からのメッセージ》

この度は、信玄公祭りというとても有名なイベントに信玄公役としてご指名いただきありがとうございます。毎年「今年の信玄公は…」と発表になる度、この方!納得と思うほど適役の方が信玄公になられておりました。今回お話を頂き驚きました。本当に嬉しく光栄に感じております。

私は宝塚歌劇団男役出身!!カッコいい武田信玄を演じられたら思っております。
山梨はお仕事・プライベートでも伺う事が多く、美味しい物・綺麗な景色・温泉と体を癒すことが出来大変親しみを感じております。

4月皆様にお会い出来ます事を今からとても楽しみにしております。

山本勘助役 

優ひかるさん

女優・元宝塚歌劇団月組男役
優 ひかる(ゆう ひかる) さん

山梨県甲州市出身
 

《ご本人からのメッセージ 》

山梨県で生まれ育った私にとって、信玄公祭りは幼い頃から身近な存在であり、いつか関わることができたらと願っておりました。この度、山本勘助役という大役を仰せつかり、長い歴史と地域の誇りを背負うこの祭りに携われることを非常に光栄に思っております。


また、信玄公役を演じられる紫吹淳さんは、私が宝塚歌劇団を目指していた頃から憧れていた方であり、ご一緒させていただけることは、夢のような喜びであると同時に、身の引き締まる思いです。


宝塚歌劇団を創設した小林一三先生の故郷である山梨で、歴史ある信玄公祭りを新たな息吹とともに皆さまにお届けできるよう、元タカラジェンヌならではの品格と情熱をもって役を全うしたいと思います。地元への愛情と敬意を込め、全身全霊で務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

宝塚歌劇団出身の紫吹淳さんと、優ひかるさんの息の合った華麗な演技や掛け合いをお楽しみに!

信玄公祭りの詳細はコチラ

詳細・最新情報につきましては、決まり次第公式ホームページにてお知らせします。

1. 信玄公祭りとは? 

 甲府市で行われる「信玄公祭り」は、県内各地から軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現しています。 1,000人を超える参加者が戦国武者姿で集結する県内最大級のお祭りです。

群団集結
甲州軍団集結

出陣
甲州軍団出陣

2. いつから信玄公祭りは始まったの?? 

信玄公祭りの前身は、昭和22年から開催されていた「桜祭り(舞鶴城公園内)」というお祭りです。商店街の春物大売り出しを中心としたお祭りでしたが、昭和30年代の新笹子トンネルの開通による中央自動車道の開通を契機に、「武田信玄」を売り出そうという動きが出てきました。 

そういった中、昭和41年に「桜祭り」を「甲府信玄祭り」という、民謡や踊り、剣道大会が中心のお祭りに模様替えをし、のちに信玄公像の建立や武田二十四将騎馬行列主体のお祭りとなっていったのです。昭和45年には現在の「信玄公祭り・甲州軍団出陣」と名称を変え、大勢の軍団が出陣する大規模イベントとなっています。

いつから
【第1回信玄公祭りポスター】

 

昭和45年4月に開催された第一回信玄公祭りからしばらくは、県庁職員などが信玄公役を務めていましたが、1988年のHNK大河ドラマ「武田信玄」を機会に武田信玄の注目が高まり、1995年(平成7年)からは信玄公役へ俳優を起用したり、女性中心の時代行列などが加えられ、現在の華やかさがある盛大なお祭りとなっていきました。

信玄公による勝どき
信玄公による勝ち鬨 

3. よく見る「風林火山」って、どういう意味? 

 武田信玄公の軍旗に記されていた文字で、風林火山は‘其疾如風其徐如林侵掠如火不動如山’「(その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しずか)なること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく)」の略として知られています。

もともとは、古代中国の『孫子』という兵法書から用いたとされています。戦国時代最強と謳われた武田軍の軍団指針として、「移動するときは風のように速く、林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように」と一人一人の武士が心に刻み、出陣していたことが伺えます。この「風林火山」は武田軍の象徴とされ、敵は軍旗を見ただけで、恐れおののいたと言われています。

武田菱丸と風林火山
風林火山に武田菱丸も思わずいいね!

4. 出陣式・帰陣式の舞台「甲府城(舞鶴城)」は誰の城? 

武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。浅野長政という武将のお城で、江戸の西方を守るための重要なお城だったといわれています。現時点では、どのような天守閣があったのか明確な証拠は見つかっておりませんが、発掘調査で見つかった金箔を使った瓦から豪華な天守閣があったのではと考えられています。

甲府城跡は、自然の石を積んだ石垣が天守台を中心に当時のまま良好に残っていることで価値が認められ、平成31年2月26日に国の指定史跡に認定されました。ちなみに、甲府城跡として県庁構内で見つかった「楽屋曲輪」からは当時温泉が湧き出ていたようです。実際に使っていたかは分からないそうですが、お城の中から温泉が湧き出すというのは、非常に贅沢なものです。

甲府城
【甲府城跡(舞鶴城)】

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【甲府城跡の鉄門と謝恩碑】

 

  結局のところ、甲府城は武田信玄の時代には、無いお城だったわけですね。武田信玄公の本拠地は、躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)で、現在の武田神社があるところにありました。武田神社はお堀に囲まれていて、すぐ隣には史跡公園があり、当時の館の広さを物語る史跡が残されています。武田神社をお参りついでに、信玄公がいた当時に思いを馳せても良いかもしれませんね。

武田神社
【躑躅ケ崎館跡にある、武田神社(拝殿)】
拝殿のすぐ隣には、躑躅ケ崎館の生活の中心とされた古井戸「姫の井戸」も残されている。

躑躅ケ崎館
【堀に囲まれている躑躅ケ崎館】
その大きさは、東京ドームと同程度の広さを誇る。

 

舞鶴城公園

関連施設

舞鶴城公園(甲府城跡)

甲府市丸の内1丁目

電話番号:055-227-6179 (舞鶴城公園管理事務所)

施設の詳細を見る

武田神社

関連施設

武田神社

甲府市古府中町2611

電話番号:055-252-2609

施設の詳細を見る

 

5. 甲州軍団のトレードマーク「赤備えの鎧」 

甲州軍団の着ている鎧の中でも目を引く、赤い鎧。これは「赤備え(あかぞなえ)の鎧」と言われ、武田信玄が重用した千騎ほどの先発隊が発祥とされています。赤備えは、高級品である辰砂により赤色が出されており、特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊が着用していた事が多く、後世に武勇の誉れの象徴とされていたそうです。

飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)が率いていた隊が最初に身に着けていたとされ、その後、弟の山県三郎右兵衛尉昌景に継承され、赤備えは武田軍の最強部隊であり象徴的な存在となりました。武田氏滅亡後には、「井伊の赤鬼」と恐れられた「井伊直政」も武田軍の赤い鎧を踏襲していたり、真田丸として有名な真田信繫(真田幸村)も赤を基調とした鎧をつけていたり、と武田軍の「赤備え」が与えた影響は絶大だったと考えられます。

ちなみに最強と恐れられた隊を率いた「山県三郎右兵衛尉昌景」の末裔が営業する川浦温泉「山県館」は、武田信玄公の時代に開発された源泉に由来し、源泉かけ流しの温泉で県内でも泉質・景観共に“最強”クラスを誇ります!

【川浦温泉 山県館 特集記事】も併せてご覧ください。

赤備え
【甲州軍団出陣の様子】
赤色を基調とした軍団が甲府の街を練り歩く

山県館
【山県館(山梨市)】
源泉かけ流しの温泉で、山県昌景の兜が入り口で出迎えてくれる。

 

Related facility

施設情報

川浦温泉山県館

川浦温泉 山県館

山梨市三富川浦1140

電話番号:0553-39-2111

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6. 信玄公祭りの馬と、戦国時代の馬はちょっと違う!? 

信玄公祭りで騎馬隊として並ぶ馬はサラブレッドが主体で、体高(肩までの高さ)は160cm~170cm、体重は450kg程度の馬を使っています。実際に武田騎馬隊が使っていた馬は、「木曽馬」という種類の馬で体高130cm、体重350kg~400kgの馬だとされています。

サラブレッドに比べると小型で、武田騎馬隊って小さい馬に乗っていて、迫力無かったのか?と思われますが、木曽馬は急な山道でも重い荷物を運ぶのに得意だとされています。山間部が多い山梨では、重い鎧兜を着た武士が乗るには木曽馬はピッタリだったのかもしれません。

山梨県富士吉田市で木曾馬にも乗れるサービス【馬力屋 特集記事】も要チェック!

木曽馬
【武田菱丸と木曽馬@木曽馬牧場(鳴沢村)】
菱丸の身長は170cm程度です。

木曽馬
【木曽馬に乗馬する武田菱丸】

 

Related facility

施設情報

乗馬

紅葉台木曽馬牧場 

南都留郡 鳴沢村紅葉台8529-86

電話番号:0555-85-3138

施設の詳細を見る

 

7. 戦国時代の通信手段 狼煙(のろし) 

 

煙とは、藁など焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することで、情報を伝達する手段のことです。

信玄公祭りでも狼煙は、北杜市から順番に韮崎市・甲斐市・甲府市と順番にあげられます。敵の攻撃を告げる狼煙が各地より伝わり、本陣では出陣に向けての準備の合図となります。 北杜市内には、狼煙をつけた烽火台がいくつも点在していることが分かっており、佐久方面の信州峠や諏訪湖方面からの攻撃があったとして、4~5km程度で上がる狼煙により危険を早く察知していたそうです。いくつかの烽火台は復元されており、今も見ることができます。

狼煙
【若神子(わかみこ)城跡にある復元された狼煙台(北杜市)】

狼煙
【北杜市内に点在する狼煙台跡】
長野県との境である信州峠の間に狼煙台跡が並んでいることが分かります。

 

Related facility

施設情報

のろし

北杜市 若神子城址(須玉町ふるさと公園)

北杜市須玉町若神子2852

電話番号:0551-42-1351 (北杜市観光課) 

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