やまなし観光推進機構の矢崎です。
実は、私は甲州市役所より派遣で、やまなし観光推進機構に所属しています。
今まで、観光の関係をしたこともなく(前回は福祉系の仕事しかも、入社4年目)、
しかも、酒もあまり飲めません!
(飲むのは好きです)
そして、甲州市と言ってもワインの盛んな勝沼町ではなく塩山の出身でもあることから、
あまり、ワインに親しんでこなかったというのが、今まででした。
しかし、やまなし観光推進機構に来て、ワインっていうのが、
市ならず県を代表する観光資源であることを実感しているところです。
そこで、ワインをもっと知ろうと思い筆を走らせています。
ということで、なぜ山梨県にワイン作りが根付いたのか
歴史から見てきたいと思います。
勝沼町のぶどう由来は2つ
①雨宮勘解由伝説
(偶然見つけた植物がうまかったという説)
文治2年(1186年)上岩崎の住人、雨宮勘解由は付近の山「城の平」で行われる石尊祭へ(毎年3月27日)例年のように村人と一緒に参列するため山道にかかった。ところが偶然にもその路傍に、一種のつる性の植物を発見した。これは未だかつて見たことのない植物であり、一緒にいた村人にも相談してこれを自園に栽培することにした。
それから5年の春夏を経て、そのつるは繁茂し、ついに建久元年(年)の5月に初めて30余の房が結実した。勘解由は、この珍しい果実に自らが驚き、栽培の努力の賜と思いその年の秋の実りに期待したのだった。
そして8月下旬にその果実はことごとく熟し、色は朱紫のように、味はきわめて甘美であったので、勘解由はこの果実の繁殖方法を研究し、同8年ようやく13株となった。
この年、鎌倉右大将源頼朝が長野の善光寺に参詣の際、そのぶどうを三箇ご献上した。
その後、子孫の雨宮織 部正は領主武田信玄へぶどうを献上し、非常にその美味をほめられ太刀を賜わったといわれている。
②大善寺説
(薬師寺如来さまから頂いた奇跡の果実説) いまから1270年前元正天皇の養老2年(718年)に僧行基が西方よりこの甲州市勝沼の地へやってきました。そして甲州市勝沼町勝沼地区と岩崎地区の間を流れる日川に沿って柏尾に至り、たまたま川岸にそびえたつ大岩石の上に静座して祈願を続けたところ、21日目に忽然と薬師如来が霊夢となってこの岩上に現われた。 とまぁ二つの由来があるようです。 ①の方を信じてしまう現代っ子な私ですが、 このようにして、ぶどうが勝沼に根付いたようです。 こういったぶどうの歴史を知りたい方は、甲州市にある と 大善寺(ちなみに国宝)
を訪ねてみてください。 では、次回をお楽しみに |