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舞鶴城公園の正面入口です。自由広場となっている場所は鍛冶曲輪です。
鍛冶曲輪には日本庭園が整備されています。
甲府城の石垣の石材はこのような岩山からも切り出しました。
岩盤の表面には、石を切り出すための古い技術が残っています。
発掘調査によって初めて確認された絵図にも描かれていない秘密の水溜です。
稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門です。
発掘調査によって柱の跡などが見つかりました。
享保の火災でも焼けず、明治初年までは残っていたものを、平成11年に復元しました。
城内で最も東側に建てられた櫓で、明治初年までは残っていたことが古写真でわかっています。
石垣の解体調査をすると、その背後からも石垣が現れ、積み直しをしていることがわかりました。
ここには築城以前から、一条小山の守護とも言われている庄城稲荷がありました。
現在は移転して遊亀橋の東側にあります。