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更新日:2024年8月15日
山梨県埋蔵文化財センターの久保田健太郎さんが「甲府城」の奥深い魅力について紹介する新企画がスタート。歴史好きな方はもちろん、歴史が苦手な方にこそぜひ読んでほしい連載です。久保田さんの解説で甲府城をもっと知りたくなること間違いなし!
甲府城について紹介するのは・・・
山梨県埋蔵文化財センター
副主査・文化財主事
久保田 健太郎(39歳)
石器が専門だが、同じ石だからという理由で(?)、山梨県庁入庁1年目から甲府城の石垣の担当になる。以来、石垣の呪いにかかり、全然関係ない遺跡の発掘をしても高確率で石垣がみつかる。
甲府市街地の一等地も一等地、甲府駅の真ん前にドカッと陣取る「甲府城」。
江戸時代、甲斐国の政治・経済・文化の中心地にあり続けた甲府城。でもその魅力を語れる人は、残念ながら、たぶんそう多くない。もっとたくさんの人に、山梨が全国に誇る甲府城の真のスゴさを体感して、驚いて、感動してほしい!
そのために、この連載では甲府城の醍醐味をテーマごとにお届けする。
第1回は、甲府城をつくったのは誰なのか?
知れば知るほど、ホンモノをみたくなる!さあ、甲府城をディープに歩いてみよう!
山梨旅行といったら、武田神社への参拝ははずせない。
なにしろ、山梨のヒーロー武田信玄をお祀りしている神社だし、そもそもここが、彼自身の館の跡だからだ。私たちブンカザイ(文化財)の世界では、ここを「史跡武田氏館跡」と呼ぶ。
史跡武田氏館跡には、武田神社が鎮座する
甲府は、この「史跡武田氏館跡」と「甲府城(史跡甲府城跡)」の2つのお城がある街だ。
甲府城は武田信玄のお城なの?と思った読者もいらっしゃるかもしれないが、甲府城を築いたのは武田信玄ではない。
それがわかる決定的な証拠が、武田氏館と甲府城の特徴の違いに隠れている。甲府城最大の特徴といえば、城全体を囲う高い石垣だ。お城のある小山全体を要塞のように高い石垣が囲う姿は、壮観である。
甲府駅からも見える巨大な石垣
これに対し、武田氏館にはその高い石垣はみられない。代わりにあるのは、吸い込まれるように深いお堀と、巨大な「土塁」と呼ばれる土手である。
この違いこそが、甲府城を武田信玄が築城していない証拠だ。
史跡武田氏館跡の深いお堀と土塁(右側の土手が土塁)
実は、私たちが「お城」と聞いてイメージする高い石垣や天守をもつお城を最初につくったのは、織田信長だといわれている。その代表格が琵琶湖のほとりの安土城だ。
その後、同じように高い石垣で囲われたお城をつくったのは、織田、そしてその家臣であった豊臣秀吉に連なる武将たちである。つまり、織田・豊臣と主従関係にない武田家が、高い石垣をもつ甲府城を築城していないのはガテンがいくわけだ。
武田氏館を築いた信玄のお父さん(武田信虎)は、戦国時代に一般的だった堀と土塁の館の人である。
武田家滅亡後、甲斐国は織田信長、徳川家康、豊臣秀吉とトップが変遷する。甲府城の築城を始めたのが誰なのかはまだ議論のあるところだが、完成はどうやら豊臣政権下でのことのようだ。豊臣家や、その家来で甲府城を預かった浅野家の家紋をあしらった見事な瓦が、発掘調査でみつかっているのも、その証だ。
関ヶ原の戦いを家康方で戦った浅野家は、その後、和歌山に栄転している。なので、甲府城が完成したのは1600年までの間だといえるだろう。甲府城には、その頃までに積み上げられた石垣が城内全体によく残っている。
この石垣が、なんといっても甲府城最大の見どころだ。
なぁんだ、石垣だけか…って思ったでしょ?
第2回から続く石垣の話を聞いたら、観にきたくなっちゃうんだから!
史跡武田氏館跡(武田神社)と史跡甲府城跡(舞鶴城公園)は、車で10分以内、歩いて久保田の足で30分の近距離です。 2つのお城を比べてみると、「お~、なるほど、これが…」となるはず。ぜひ、両方行ってみよう! |
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山梨県埋蔵文化財センターでは、昨年も大盛況だった全5回のウォーキングイベント「甲府城が大好きな私たちと歩く、城・城下町さんぽ2024」を開催しています。 次回は2024年10月5日(日)、第3回のテーマは「サムライの時代が終わってから」。講師は久保田さんです! 実際に甲府城を歩きながら、講師の丁寧かつ軽快なトークで甲府城について楽しく学べます。参加した後は、きっと誰かに話したくなる!? |