ここから本文です。

更新日:2023年8月16日

やまなし大使・内山しのぶが取材~移住して活躍する人々に聞く「夢が見られる山梨♡夢を叶える山梨」第1回・富士吉田の立役者たち(1)八木毅さん

他県からの移住者が増え続ける山梨県。山梨で生まれて山梨で育った人にはわからない“山梨の魅力”はどこにあるのか?
やまなし大使でもある内山しのぶが多方面で活躍する老若男女に取材インタビューしてお届けする連載。第1回は地域活性する注目の富士吉田の立役者であるお二人に話を聞いた。

富士吉田の立役者たち(1)

株式会社DOSO 代表取締役 八木毅さん

フランスのディジョン国立高等美術大学 大学院卒業後帰国、東京でデザインの仕事に従事したのち、2014年から山梨県富士吉田市に移住。地域活性事業を行う富士吉田みんなの貯金箱財団を経て、2015年からSARUYA HOSTEL、SARUYA Artisit Residency、FabCafe Fujiを運営。

ブルゴーニュで暮らし、世界の美しい場所も知っているのに、なぜ富士吉田なのか?

八木さん
株式会社DOSO 代表取締役 八木毅さん

Q 富士吉田に住むことになった理由は?

僕は静岡の三島市出身で、名古屋芸術大学で油絵を学び、その後、フランスに合計約7年間留学、うち約4年間をディジョン国立高等美術大学でコンセプチュアルアートを学びました。大学卒業時と重なるタイミングでリーマンショックがあり日本へ帰国しました。その後、震災があり、僕も僕の回りも、クリエイターたちは東京と離れた京都や長野といったローカルな地方に目が向いていきました。「移住」というワードが世の中に出てきた頃です。

ちょうどその時に、富士吉田の地域活性事業「富士吉田みんなの貯金箱財団」から声を掛けられ、デザイナーとして地域活性に関わることになったのです。そこから富士吉田での暮らしが始まりました。

Q あの頃の富士吉田は街が眠っているような印象でしたが不安はなかったのですか?

不安でしたが、みんなの貯金箱財団メンバーと話しはじめたら、滞在4時間くらいで移住を決断しました。氷室という場所に地域活性の拠点として空き家を借り、仲間6人で住むことになったのですが、埃まみれの一軒家だったので着いた初日から大掃除でした。商店街はほとんどシャッターが閉まり、空き家が多くみられました。時間が止まったような街という印象でした。でも住んでいるうちに、徐々にここの可能性が見えてきたんです。

Q ここ(富士吉田)の可能性とは?

街の価値です。一緒に関わっている同世代の友人たちが、なぜここで活動したいのかがわかってきたのです。街中に空き家がたくさんあって、「ここならいろんなことが出来るのではないか?」と気づいたのです。

私の世代は、氷河期時代、非正規雇用時代とずっと苦汁をなめてきて、ほとんどチャンスが回ってこない世代でした。ここに「こんなにたくさん空き家があったら絶対に何かできるはず」と、この街の可能性と価値を強く感じました。その当時僕は33歳でした。

インタビューの様子
8月の猛暑の中、富士吉田への熱い思いを語ってくれた八木さん

Q 富士吉田に感じる街の価値とは?

あれから10年近くなりますが、ここにはまだまだとんでもない価値があります! ローカルの中で比べても、日本一になるポテンシャルがあります。まず、富士山が目の前にあるのが一番大きいです! 東京からの距離も近く、そしてなんといっても水がどこよりもきれいでおいしいのです。水道水を飲んだらびっくりしますよ!

富士山は山岳信仰をルーツに持つ富士信仰によって多くの人を惹きつけ、「山に対する恐れ」と「富士山を敬う畏敬の念」を持ってきた地域性の影響もあるのか、これまでゴルフ場もできてこなかったくらい、今でも自然の資源を保有しています。これはすごいことです。ここは伊勢や出雲のように宗教を中心にした街のようになる可能性もある。まだ、この地域の価値を最大化できていないと思います。

Q それから10年の間でされてきたことは何ですか?

関係人口を増やしていくための拠点として、また、観光の活性化が、地域の活性に繋がる一つの点であると考え、地域おこし協力隊卒業生の赤松くんとともに「SARUYA HOSTEL」を作りました。富士山が正面に大きく見える商店街にある空き家を改装して宿をオープン。本当にありがたいことにコロナ禍が明けて今、たくさんの国内外から多くのお客様に利用いただいています。また、アーティストのキャリアの補助と地域との文化交流を広めるため、アーティストレジデンス「SARUYA Artisit Residency」を作りました。

そして昨年、地域の物づくりを広く知ってもらうためにカフェ「FabCafe Fuji」をオープン。ここは以前、スルガ銀行があった建物で、天井も高くとても開放感のある空間でした。長く空き家でしたが、元々地元の企業であった渡東さんが地域活性のためにと建物を改装してくださり、ここにカフェをオープンすることができました。今では、県内からや海外からのお客様にも喜んでもらえる場所になりました。

SARUYA HOSTEL
「SARUYA HOSTEL」入口

SARUYA HOSTEL
「SARUYA HOSTEL」ラウンジ。吹き抜けになっていて、開放的な空間

キッチンエリア
「SARUYA HOSTEL」居心地のよいキッチンエリア

FaveCAFE SARUYA
多国籍旅行者で賑わう「FabCafe Fuji」

Q “ビジネス”と“アート”と街の“地域活性”がうまく回っていますね

中でも今、力を入れているのが「FUJI TEXTILE WEEK(フジテキスタイルウィーク)」です。ここは1000年続く機織り(はたおり)の街です。富士吉田の機織り(織物)は、江戸時代は高品質で粋な羽織りの裏地を、昭和時代は国内外の洋服需要の高まりから機織りで繁栄した織物の街として知られるようになりました。ただ、現在は街に織物を感じることができないことが残念です。

「FUJI TEXTILE WEEK(フジテキスタイルウィーク)」を実施することで、今まだ残っている機織りの文化を後世に繋いで、富士吉田の織物がアートや建築、さまざまの分野で使われるようになり、街の風景の中に「織物の文化」が残っていって欲しいと思っています。

フジテキスタイルウィーク

 

Q これからの富士吉田に見る夢は?

日本でも有数のウォーカブルシティになりえる街だと思っています。富士山の周辺には新倉山、杓子山などの山があり、この地域には富士五湖もある。街の面積としてのコンパクトさ、路地の多い中心市街地から、この街がウォーカブルシティにならない理由が考えづらいと思っています。

こんな豊かな街が変わっていかないと「日本のローカルはどうなっていくのか?」と思います。そして魅力的な街は観光だけなく、“住みたい街”であってほしいので、どうやってもっと魅力的な街にしていくのか? 変えていきたい事や、やりたいことがたくさんあります。

※参照:ウォーカブル ポータルサイト|国土交通省(外部リンク)

Q 富士吉田は移住しやすい街ですか?

富士吉田市の下吉田地域は、商人の街であり、外から入ってくる人が多かったと聞いています。そのような特徴からも移住者が住みやすい地域なのではないかと思っています。今また注目を集めている飲み屋街の「西裏地区」も移住者や地元のUターン者が素敵なレストランやお店をオープンして活性化しています。商売する人みんなとっても協力的で溶け込みやすい環境です。やりたいことや夢を叶えやすい地域だと思う。僕たちみたいな移住先発組もお互いを尊重しながら暮らしているので、移住者は歓迎してます。

また、自分たちも日々学び、自分たち自身も力をつけていかないと街も良くならない。富士吉田を愛せる人たちが増えて、いろんな意見やアイディアをぶつけあってお互いを高め合い、富士吉田をさらに活性化していければいいなと思っています。

西浦
「西裏」の新世界乾杯通り

西浦
地元の人たちが足繁く通う個性豊かなお店が並ぶ「子の神通り」

 

取材しながら久しぶりに歩いた富士吉田は、国内外からの観光客で溢れていて、街に活気が広がりつつあるのをとても感じました。

次回は富士吉田の立役者(2)をお送りいたします。

インタビュアー&文

内山しのぶ

内山しのぶ様

山梨県甲州市勝沼町生まれ。やまなし大使。1989年編集者として(株)世界文化社入社。女性誌『家庭画報』副編集長を務めた後、料理雑誌『家庭画報デリシャス』編集長。『MISS』『MISS ウエディング』『きもの Salon』『GOLD』の編集長を約 12 年間務める。2016年~現在 (株)集英社HAPPY PLUS STORE サイトにてコンテンツマネージャー。アーティスト本の企画編集刊行なども務める。

料理家として、調理師免許、国際中医薬膳師、マクロビオティックコンシェルジュ、オーガニック料理ソムリエなどの資格を持ち、料理雑誌や企業の刊行物にレシピを寄稿。自宅アトリエでヌーヴェル薬膳料理教室をオープン。著書に料理本『しのぶ亭へようこそ。編集長のおうちごはん』がある。

2019年甲府市・昇仙峡の再活性化をめざす「昇仙峡リバイバル会議」でアドバイザーを務め、「お座敷列車で行く山梨県峡東ワインリゾートツアー」など山梨のPRに関わる。

「夢が見られる山梨♡夢を叶える山梨」連載

その他の特集を見るother

ホーム > 特集 > やまなし大使・内山しのぶが取材~移住して活躍する人々に聞く「夢が見られる山梨♡夢を叶える山梨」第1回・富士吉田の立役者たち(1)八木毅さん