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更新日:2023年1月16日
山梨の英雄武田信玄。地元では信玄公と呼ばれ非常に親しまれています。
信玄公には、実は現在まで伝わる功績がいくつもあります。
今回は、信玄公が整備し、徳川家康が貨幣制度として取り入れた「甲州金」と展示している施設をご紹介します。
山梨中銀金融資料館内
今回、まず訪れたのは『山梨中銀金融資料館』。甲府駅から歩いて約10分。駐車場もあるので、お車の方でも気軽に訪れることができます。ここでは、甲州金のことについて知ることができます。
一両の甲州金、大きさ以上の存在感があります
甲州金とは、信玄公(信玄公の父信虎公の時代ともいわれています)の時代に造られた貨幣。特徴は大きく2つ。
1つ目の特徴はその質の高さ。山梨には黒川や湯之奥、早川など数多くの金山があり、そこでは純度が高い金が取れました。その質の高さは評判で、晩年の家康が蓄財の柱としていました。また、多くの偽物が造られたと言います。
周囲のギザギザが特徴の太鼓判
画像の甲州金の周囲にギザギザがありますが、これは偽造防止のためにつけられました。
この形が和太鼓に似ていることから「太鼓判」と呼ばれ、このギザギザがあれば本物と認められました。
ここから、絶対に良いものであることを保証する「太鼓判を押す」という慣用句が生まれたと言われています。
甲州金2つ目の特徴は正確性。金の純度が高くても重さが統一されていないと安定して流通できません。信玄公は正確な秤を作る職人を山梨に招き精巧な秤を作りました。さらに、信玄公の整備により4進法(大きい順に1両=4分=16朱=64糸目)で分類する計数貨幣としても発展しました。
この4進法を活用した貨幣の考え方は、徳川家康により江戸時代の貨幣に引き継がれました。また、この考え方は形を変えて現在の貨幣へと受け継がれています。
実物はものすごく小さい糸目金
画像は甲州金最小の糸目金。
重量は約0.234gと非常に小さい貨幣ですが、細かく文字が刻まれていて甲州金の技術の高さが実感できます。
この小さい貨幣から、お金を思い切って使うときには「糸目のようなわずかなお金は気にしない」=「お金に糸目をつけない」という慣用句が生まれたそうです。
甲州金と江戸の金貨
信玄公が整備した甲州金の制度は甲州枡(年貢を正確に量ることができる枡の統一規格のこと。こちらも江戸幕府で活用された)、大小切制度(年貢米の一部を定額の金に変える制度)と併せて「甲州三法」と呼ばれ、江戸幕府の時代でも山梨では特別に適用が許されていました。
信玄公以来の決まりであることから、幕府が取りやめようとしても山梨の人々が反対したとも伝わっています。山梨県民の信玄公を偲ぶ気持ちは、当時から変わっていないのかもしれません。また、江戸幕府も家康を破った信玄公のことをどこか神聖視していたのかもしれませんね。
「太鼓判を押す」や「お金に糸目をつけない」の基になった甲州金は山梨中銀金融資料館で見ることができます。信玄公が手に取ったかもしれない甲州金を見て、はるか昔に思いをはせてみませんか?
また、金融資料館では、年に3回(春、夏、秋)に特別展を実施。自由研究にもピッタリです。入場無料、甲州金以外にも貴重な貨幣の資料も多数展示されており、展示されている資料の数は日本有数です。
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施設情報 |
(写真提供:株式会社サンニチ印刷)
取材・文/石田
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