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更新日:2023年1月16日
山梨の英雄武田信玄。地元では信玄公と呼ばれ非常に親しまれています。
信玄公には、実は現在まで伝わる功績がいくつもあります。
今回は、信玄公が整備し、徳川家康が貨幣制度として取り入れた「甲州金」にまつわるお寺をご紹介!
#1で紹介した山梨中銀金融資料館と近いので甲府駅からお散歩がてら歩いてみませんか?
信玄公が整備した甲州金。その鋳造には金山の開発が必要不可欠です。
信玄公の時代に金山を開発する金山奉行として仕えたのが大久保長安。その才能を家康にも見いだされ、佐渡金山や石見銀山など全国の鉱山開発にも携わったそうです。
甲州金の整備にも携わり、江戸時代の貨幣制度の一役を担った大久保長安、そのお墓は金融資料館から歩いて10分ほどの『天尊躰寺(てんそんたいじ)』にあります。
大久保長安の墓は本堂の近くにある
大久保長安は生前、自分が死んだら天尊躰寺に葬ってほしいと遺言を残したと言われる天尊躰寺。
実は家康もかつて宿泊し6度も訪れたことがある非常に由緒正しいお寺です。
かつて使われていた葵の御紋の瓦
かつては、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた、今の武田神社周辺)に位置した天尊躰寺。その歴史は信玄公の父信虎の時代まで遡ります。信虎の息子(信玄公の兄)が幼くして亡くなった際にその供養のために立てたことが由来とされています。
「真向三尊阿弥陀如来」徳川家康も見たかもしれません
ご本尊は「真向三尊阿弥陀如来」という中国の僧侶が描いた絹の図像。木像などではなく絹の図像が本尊となっている山梨でも数少ないお寺です。
こちらは、信虎が京都の石清水八幡宮から持ってきたそうです。病気の療養を祈願して書かれた図像で、家康が山梨に入った際に天尊躰寺を訪れたのも、このご本尊があったからと伝わっています。
家康の天尊躰寺への思いは並々ならぬものがあり、葵の御紋の利用が許されている山梨でも数少ないお寺です。また、旧甲州街道に沿ったお寺はここだけ(他のお寺は甲州街道から少し入った場所にある)ともいわれています。
ご本尊は原則年に2回(1月15日、8月16日)の御開帳となっていますが、ご覧になりたい方はお寺にご相談ください。
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施設情報天尊躰寺(てんそんたいじ) 甲府市城東1丁目13−17 電話番号:055-232-8656 |
(写真提供:株式会社サンニチ印刷)
取材・文/石田
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